理想の働き方のために、自分の「好き」を貫き通す。旅するライターが歩んできたキャリアとは
世界中を旅しながら、フリーランスのライターとして仕事をしている古性のちさん。国内外を問わず、文字通り飛び回って活躍している彼女ですが、理想の働き方にたどり着くまで、10年の月日を費やしたといいます。
「また2日後には会社に行かなければ」と虚ろな目で電車の中から真っ暗の空を見上げたいた、数年前の金曜日夜。あのとき些細だけれど「これが現実」と自分の心の違和感に嘘をつかなかったからこそ、今こうしてインドでこんな事を呟いている気がする。あの時は自信も確信も何もなかった。今もおなじ。 pic.twitter.com/kIh1waJyg8
— 古性 のち (@nocci_84) 2018年3月23日
「旅しながら仕事をしたい」と決意した17歳のときから、フリーランスとして独立する27歳まで、さまざまなスキルを積むことで自分の武器を増やしてきたというのちさんは、これまでどんなキャリアを積んできたのでしょうか。現在の仕事内容やこれから実現したいことと合わせて伺ってきました。
目次
ほぼ不登校だった高校時代。
一冊の本との出会いで世界一周を決意
― のちさんはいま、旅をしながら仕事をされていますが、どんなきっかけだったんですか?
高校3年生のときに、ある本と出会いました。実はそのころのわたしは高校に行ったりいかなかったり。不登校だったんですよ。昔から決められた時間に、決められた場所に行くのが苦手だったのもあって、高校でついにドロップアウトしかけていて。散歩は好きだったので、みんなが学校に行ってる時間に近所を歩き回ったり、電車で行けるところまで行ってみたりしていました。それでたまたま立ち寄った本屋さんで高橋歩さんの『LOVE&FREE』っていう本に出会って。それで人生が変わりました。
― どんな内容の本ですか?
著者の高橋歩さんが、2年間かけて世界一周した際の冒険記録です。この高橋さんという方がすごく魅力的で、とにかく自由なんです。場所にとらわれずに生きてるというか……。「こんな生き方もあるんだ!」と驚きました。
― それで「旅しながら働く」という目標ができたんですね。
当時の高校は、進路の選択肢が今ほど自由ではありませんでした。私自身も「この先、どうしたらいいんだろう」と悩んでいたのですが、高橋さんのような生き方を知って、新しい可能性が見えたというか。
― 実際、高校卒業後の進路はどうされましたか?
学校の進路相談で「世界一周したい!」って正直に打ち明けたら、先生と親を驚かせてしまって。両親は頭ごなしに反対するようなことはなかったのですが、「まずはなにか生きていく術を身に着けて、ちゃんと社会人として経験を積みなさい」と言われました。そこで、なにか手に職をつけなきゃと思ったとき、美容師という選択肢が出てきたんです。美容師ならハサミ1本で世界中どこでも働けるなって。
― それで高校卒業後は美容学校に進学したんですね。
そうなんです。学校苦手なのに。でも、2年間っていう期限付きだったし、世界一周のために必要な切符のひとつだと思ったら頑張れました。
― 授業は楽しかったですか?
楽しい・楽しくないというよりは、やはり学校という組織は苦手でした。カットやパーマなどの基本的な技術を身に着けるには、言われたことを言われたようにやらなければいけませんが、それが苦痛で。ただ、コンテストとかヘアショーとか、自由に表現できるような活動はすごく楽しかったですね。
― 美容学校での2年間を終えて、いよいよ……?
美容師は「アシスタント」としてお店に入ってから、実際にお客さんの髪を切れる「スタイリスト」になるまで、短くても3年はかかります。
すぐにでも世界一周!……と言いたかったのですが、やはり学校卒業したくらいのレベルだと、世界で通用するような技術力は身につかなかったんですよね。なので、せめて1年半で一人前になってやろうという気持ちで就職しました。
― 実際1年半で一人前にはなれましたか?
気持ちはあったのですが、学校同様に、毎日とても苦痛で。
そもそも高校生のときに決められた時間、決められた場所に行くことが苦手だった私にとって、同じお店に通い続けるのは、結局学校と同じなんですよね。この「見える景色の変わらない場所に毎日通い続けること」はむずかしいなと、入社半年目に感じてしまって。
結局1年半で一人前にはなれなかったし、挫折してしまったのですが、この経験がちゃんと自分の「苦手」を知って向き合うこと。そして自分の「好き」とリンクさせなければ、続けることは厳しいことを教えてくれました。
新しい武器を手に入れるために、
webデザイナーの道を目指す
― 美容師を辞めて、振り出しに戻ったわけですが、そこからどんな道に進んだんですか?
美容師の仕事はわたしにとって「世界で通用する武器」のひとつだと思っていたので、じゃあ私には他に、どんな武器が持てるのかな……と考えました。そのとき頭に浮かんだのがPCを使った仕事でした。
― その理由は?
不登校だったとき、散歩するのと同じくらいパソコンをいじるのも大好きだったんです。ネットゲームをやる傍らで、自分でホームページを作ってイラストや文章を投稿したり、素材屋さん※をやってました。デザイン用ソフトのフォトショップは独学で使いこなせるようになっていたので、それを活かして仕事ができないかな、と考えたんです。
※素材屋さん:自作したホームページ作成用の画像やイラストを、ほかの人が利用できるように公開しているサイトのこと。― なるほど。次はデザインを武器にしようと思ったわけですね。
そのあとは、すでに自分の理想の働き方をしてる人に聞いたら早いんじゃないかなと思って、バンクーバーでデザイナーの仕事をされていた方にコンタクトを取りました。同じ働き方がしたいと考えていますが、どうしたらいいですかって直接メッセージを送ったんです。今思うと、あんな不躾な質問に、よく返信をくださったな……と。
― どんなアドバイスをいただきましたか?
当たり前ですが、「世界で通用する技術力を身に着けるためには、まずちゃんとスクールで勉強しなさい」と。そのとき提示してくれた選択肢がバンクーバーの学校に通うか、アドバイスをくださった方が卒業した東京にある、専門学校に行くか、というものでした。すごく迷いましたが、「やはり学ぶのであれば母国語がベストなのではないか」という結論に至り、東京の専門学校に通うことを選んだんです。
― どんなことを学びましたか?
座学だけではなく、実践的な授業も多かったです。企業の方と一緒にゼロからプロジェクトを立ち上げることもありました。それまで、デザイナーという職種しか頭にありませんでしたが、ほかにもディレクターとかプロデューサーという道があることを教えてくれたのがこの場所です。技術が向上したのはもちろん、選択肢も広がったので、とても良い経験になりました。「成果がはっきり目に見えて、言語が違っても伝わる」という理由で、やはりデザイナーになろうと決めることができました。
― デザイナーになろうと決意したあとはすぐ海外に渡ったんですか?
「まずは実績を積もう」と思い、制作会社に就職しました。たくさん仕事をこなせるように、デザイナーが少ない会社を選んだおかげで、めきめき技術力が上がって、ポートフォリオもできました。
ただ、「旅をしながら働く」には仕事を得ることがもちろん必要ですし、そのためには技術だけでなく知名度を上げなければならないと気がついて。そこで自身のブランディングが得意な人たちが多い制作会社を知り、「ファンの作り方を勉強したい」と思い転職しました。
剣は持ったけど、盾も必要。
世界で戦うための
もうひとつの武器がライターだった
― その制作会社では、どのような学びがあったのでしょうか。
社員の方々は皆さん個性豊かだったのですが、常に自分の強みを探していました。それぞれのやり方でファンを獲得し、独立する人も多かった反面、やりたいことを積極的にアピールしなければ埋もれてしまうことも知りましたね。
また、副業OKの会社だったので、土日を使って個人の仕事をやり、1年経ったときには、デザイナーとしてある程度の技術力は身についていました。「いよいよ独立して世界一周!」と思いましたが、ふともうひとつ拠り所がほしいなと思い立ち。剣は持ったけれど、盾も必要だなって。
― 選んだ盾というのが……?
webライターという仕事です。会社のなかで全社員が必ずブログを書く決まりがあったので、私はデザインのノウハウやまとめを書いてたのですが、読んでくださっている方たちから、直で反応がもらえるのがすごくうれしかったんです。そのとき、文章を書くことも自分の武器のひとつにしたいと思って、デザイナーからライターに部署移動させてもらいました。
― はじめは、社内でライターの仕事をはじめたわけですね。実際、ライターの仕事をしてみてどうでしたか?
ライターは場所にとらわれずにできる仕事なので、理想的でした。今思うと、飽き性な自分はデザイナーというひとつの武器だけで戦うのは、向いてなかっただろうな、と思います。
― デザイナーとライターというふたつの武器を身に着けて、いよいよ満を持して世界へ……というわけですね。すぐに仕事の依頼はありましたか?
会社員時代から「独立して、世界一周に行く」と周りに言い続けてたんですね。なのでいよいよ、となったとき、ありがたいことに声をかけてくださった会社があって。日頃から自分の夢や将来を声に出しておくのって大切なんだなと思いました。
― 独立後、一番はじめの仕事はどのようものでしたか?
フィリピン留学をしながら、その体験談を記事にするという仕事でした。場所に縛られない働き方って、ただ単に仕事を持って周るっていうやり方もあると思うんですけど、私はその場所に行くからこそできる仕事をしたいと思っていて。最初の仕事から、理想通りのかたちだったので、すごくいいスタートを切ることができました。
理想の働き方を手に入れたそのあとは?
旅するライターの次なる目標
― 独立してすぐ理想の働き方を実現されたのちさんですが、課題はありましたか?
やりたいことと、求められることのギャップを感じましたね。私は旅の仕事をしたかったのですが、実際に求められる仕事は旅と直接関係しないものが多かったんです。最初の1年くらいは、どんな依頼も受けていました。たしかにお金は得られましたが、同じことを続けたとして、数年後に「自分」を証明することができるのか疑問を持つようになって。
― その課題を解決するために、どのようなことをされたのでしょうか。
今も模索はしているのですが、キャリアカウンセリングをしてくださる人と定期的にお会いして、マインドマップを設定しています。また、興味のあることや趣味に関してテーマ別に画像を共有できるサイトで、旅やカフェなど自分の好きなものを可視化するようにもしていますね。こうすることで、自分の軸を見失わないだけでなく、周りが持つ私自身のイメージを確立できると考えています。
― 今後の展望をお聞かせください。
これまでは私が旅先から遠隔で連絡をとって仕事をすることが多かったのですが、今後は私が旅をすることによって、仕事が生まれるモデルにしていきたいです。
過去にも「次はネパールに行きます」と言ったことで、ネパールで取材をする機会が生まれたように、「今度〇〇に行きます!」って言ったら、それがきっかけでクライアントさんや現地の方から「こんな取材をしてほしい」と声がかかるのが理想です。私がその場に行くことで、現地が盛り上がるっていうのがすごくうれしいんです。
また、自分が理想の働き方にたどり着くまでに紆余曲折があったので、同じような働き方をしたい方の、手助けができたらなと思っています。今は自分が理想の働き方を手に入れて幸せだけど、それを周囲の人にも感じてほしい。こういう仕事があるから、旅に行ってきなよって、やりたいを叶えてあげられる側にまわれたらいいなと。
― 最後に、自分のキャリアを振り返ってみて、改めて大切だと感じたことを教えてください。
よくフリーランスとして働こうとした理由のひとつで「毎日、満員電車に乗りたくなかったから」と話すのに対して、「それくらい我慢すればいいのに」と言われることもあるでしょう。でも、それは他人のものさしによる評価でしかありません。そんな周りの言葉に惑わされたり、合わせようとするのではなく、自分の「好き」を大切にすること。そうすれば、きっと一人ひとりが生きやすい環境や、理想の働き方を得られると思います。
インタビューを終えて
一冊の本との出会いから、10年かけてついに理想の働き方を手に入れたのちさん。目標に向かってひたむきに進み続ける彼女の原動力は「自分の好きなことを貫く」という強い想いだったようです。
自分の好きな生き方を掴み取るために大切なこと、自分の軸を定期的に見つめ直し、周りから違った意見を言われても、譲れないものを確立することだと実感できるのではないでしょうか。